飛騨の山猿日記 › 2010年03月18日
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2010年03月18日
デザイン
みなさん、おはようございます。
いつも当ブログをご拝読いただき、ありがとうございます。
「週休二日酔」さん、「クロ」さん、コメントありがとうございます。いつも叱咤激励?して頂いて嬉しいです(他の方からのコメント書き込み少ないんで、、、)今後もどしどしコメントお寄せくださいね!!
昨日の新聞にこんな記事が載ってました。

鷲田清一(大阪大学学長)さんのコラムです。
主に「建築」に関しての”苦言””提言”がその内容なんですが、日頃、私個人的に思っている事と捉え方がかなり近かったのであえてブログの記事に取り上げてみました。
その一節のご紹介を少し、、、
デザインにまず必要なのは、現代生活への批判的な感覚である。もっと便利に、もっと快適にといった「社会的ニーズ」に野放図に応えるのでなく、今の生活はそのまま肯定されてよいのか、どのような生活スタイルを、あるいは価値を、たぐり寄せる事が私たちに求められているのかという問いを、それは内蔵していなければならないはずだ。
デザインはまた、個々のニーズに逐一応える事によって人々の暮らしを分解してしまう事を、回避するような工夫も求められる。台所が調理のためにあるだけでなく、子どもにとっては包丁やハサミなど物騒なものがある、ゾクッとするような空間であり、また家族がとりとめもない話をしたり、家計簿をつけたりする空間であるように、一つの空間に多様な意味が折り重なるということも、暮らしを厚くするには大切なことだ。
そしてもう一つ、デザインが人を受け身にしてしまわないこと。デザインされつくしたモノは人を受動的にする。あるモノをきっかけにいろんな感覚が誘発されるようなデザイン、つまりちょっと「つかみどころがない」(深澤直人)くらいの抑制がデザインには望ましい。
、、、、、ああ~~、人差指だけで
こんだけ打つのって、ちょーキツイです。
ま、そんなことはさておいて、この内容みなさんはどう思われますか?
私は以前から、今流行りの「高断熱、高気密、高※※※、、、」というのは、この地の営みにはたして善きことなのか、、、と疑問に思っていました。確かに、機密性が高く外部の環境を遮断して暮らすというのは快適なのかもしれませんが、弊害もあるのでは、、、
人間関係もそうですが、世の中って自分とウマが合わない人とでも、ある程度付き合っていかないと成り立っていかない。まったく疎遠・・・なんてこと無理ですよねー。
じゃ、どうするかって言うと、お互い多少我慢して一歩譲ってでも協調性を出してお付き合いする、、、
だから、例えば建築もそうなんじゃないかって、、、
少しくらい寒くても、少しくらい不便でも、その土地の風土に合った”昔から変わらぬ”やり方の方が、『自然』というとてつもなく大きなワガママと円滑に付き合っていくには、大事なんじゃないか、、、って。
機密性が高く冷暖房コストが低ければ、地球にやさしい”エコ”だって言ってるけど、はたしてそれって本当の”エコ”なんですかねー、、、
それによって、長い歴史の中で脈々と受け継がれてきた
”人間が築き上げてきた資源”
が失われることって、”エコ”が失われる、、、って意味合いないですかねー
スンマセン、建築関連の方々からしたら「何を生意気な、わかったようなこと言って」とお怒りかもしれませんが、ただただ今の風潮が、あまりにも心に引っ掛かりっぱなしで。。。。
こういうことに関して、建築に直接たずさわっておられる大工さんの実直な意見が聞いてみたいです。ありのままの”熱い”コメントお願いしたいですねー。
ちなみに、興味がある方おみえでしたら一度この新聞記事読んでみてください。
3月17日の中日新聞の11面の記事です。
nokutareショールーム:昨日の進捗状況



いつも当ブログをご拝読いただき、ありがとうございます。
「週休二日酔」さん、「クロ」さん、コメントありがとうございます。いつも叱咤激励?して頂いて嬉しいです(他の方からのコメント書き込み少ないんで、、、)今後もどしどしコメントお寄せくださいね!!
昨日の新聞にこんな記事が載ってました。

鷲田清一(大阪大学学長)さんのコラムです。
主に「建築」に関しての”苦言””提言”がその内容なんですが、日頃、私個人的に思っている事と捉え方がかなり近かったのであえてブログの記事に取り上げてみました。
その一節のご紹介を少し、、、
デザインにまず必要なのは、現代生活への批判的な感覚である。もっと便利に、もっと快適にといった「社会的ニーズ」に野放図に応えるのでなく、今の生活はそのまま肯定されてよいのか、どのような生活スタイルを、あるいは価値を、たぐり寄せる事が私たちに求められているのかという問いを、それは内蔵していなければならないはずだ。
デザインはまた、個々のニーズに逐一応える事によって人々の暮らしを分解してしまう事を、回避するような工夫も求められる。台所が調理のためにあるだけでなく、子どもにとっては包丁やハサミなど物騒なものがある、ゾクッとするような空間であり、また家族がとりとめもない話をしたり、家計簿をつけたりする空間であるように、一つの空間に多様な意味が折り重なるということも、暮らしを厚くするには大切なことだ。
そしてもう一つ、デザインが人を受け身にしてしまわないこと。デザインされつくしたモノは人を受動的にする。あるモノをきっかけにいろんな感覚が誘発されるようなデザイン、つまりちょっと「つかみどころがない」(深澤直人)くらいの抑制がデザインには望ましい。
、、、、、ああ~~、人差指だけで

ま、そんなことはさておいて、この内容みなさんはどう思われますか?
私は以前から、今流行りの「高断熱、高気密、高※※※、、、」というのは、この地の営みにはたして善きことなのか、、、と疑問に思っていました。確かに、機密性が高く外部の環境を遮断して暮らすというのは快適なのかもしれませんが、弊害もあるのでは、、、
人間関係もそうですが、世の中って自分とウマが合わない人とでも、ある程度付き合っていかないと成り立っていかない。まったく疎遠・・・なんてこと無理ですよねー。
じゃ、どうするかって言うと、お互い多少我慢して一歩譲ってでも協調性を出してお付き合いする、、、
だから、例えば建築もそうなんじゃないかって、、、
少しくらい寒くても、少しくらい不便でも、その土地の風土に合った”昔から変わらぬ”やり方の方が、『自然』というとてつもなく大きなワガママと円滑に付き合っていくには、大事なんじゃないか、、、って。
機密性が高く冷暖房コストが低ければ、地球にやさしい”エコ”だって言ってるけど、はたしてそれって本当の”エコ”なんですかねー、、、
それによって、長い歴史の中で脈々と受け継がれてきた
”人間が築き上げてきた資源”
が失われることって、”エコ”が失われる、、、って意味合いないですかねー
スンマセン、建築関連の方々からしたら「何を生意気な、わかったようなこと言って」とお怒りかもしれませんが、ただただ今の風潮が、あまりにも心に引っ掛かりっぱなしで。。。。
こういうことに関して、建築に直接たずさわっておられる大工さんの実直な意見が聞いてみたいです。ありのままの”熱い”コメントお願いしたいですねー。
ちなみに、興味がある方おみえでしたら一度この新聞記事読んでみてください。
3月17日の中日新聞の11面の記事です。
nokutareショールーム:昨日の進捗状況
Posted by 飛騨の山猿 at
08:03
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