飛騨の山猿日記 › 2011年11月

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2011年11月30日

コトバにしない。

 些細なことがきっかけで、ケンカになる、、、

お互いが自分の想いをわかって欲しくて、ココロの内を言葉にする。

もちろん、そうすることによって大抵の想いは伝わる。

確かに、それはそれで、イイのかもしれない、、、


 そやけど、、、

最近、ふと、こんなことを思った。

 コミュニケーション、、、って、なんなんやろ?

互いが信じ合えるように、、、

繋がっていられるように、、、

安心していられるように、、、

 そのために必要なことなんやろうな。。。


 100%、すべて、いつも、吐きだしてたら、

自分がイヤになるときがある。

相手をキライになってしまうこともある。


 そやで、

コトバにはしんけど、結果として、”伝わる”、、、


 時にはそんなのもイイのかもしれんな。。。  

Posted by 飛騨の山猿 at 06:53Comments(0)

2011年11月15日

Progress

今まで、ずーっと、ココロの中にあったモヤモヤしてたものが、

スーッと、消えてなくなった気がした。

ひとつの区切りができた。

自分の中で、ちゃんと”ピリオド”がうてた感じがした。

でも、これで終わりじゃない。

新しい明日に向かって、『改行』したということ。



そういえば昨日の「プロフェッショナル」で、

本田圭佑がこんなことを言っていた。


「どんなときも自分を信じ、どこまでも自分らしく生きる」


うん、、、私も、そうでありたい。



『Progress』


エンディングで流れた歌詞が、妙にココロに響いた。



  

Posted by 飛騨の山猿 at 09:28Comments(0)

2011年11月11日

会話

 最近ブログを再開。facebookも以前からやっている。メールもしかり、、、

 このごろ、我が家の会話の中でこんなことがしばしばある。子どもたちとのやりとりの中で、私が聞いた内容に対して、


「父さん、それ、ゆうべ言ったに、、、聞いとらんなー。。。」

  「あれ?、そやったっけ、、、ゴメン、ごめん。。。」

「。。。パソコンばっか、やっとるでやさ。。。」


 インターネットの世界にどっぷりと浸かっているわけではない。が、少なくともその時間は楽しいと感じている。それ以外にも、商売に繋がったり、自分の想いを公開したり。時には、繋がりを増やすこともできている。

 でも、これって、どうしても”今の自分”に必要なのかな、、、って、思う時がある。
得てるものも確かに多いが、必要とされてることがおろそかになってる気がしてならない。何処までがOKで、何処からがNGなのか、自分の中で線引きされてないからだろう、、、

 そのラインを引く位置が難しい、、、
もしかすると、今まで構築したポジションやスタンスを、あえて崩すことになりかねない、、、といった変な不安感があるのは事実だ。当然、繋がりが断たれることもあるだろう、、、

 でも、たとえそうであっても、必要であれば残っていくだろうし、そうしてなくても、消えていくものは所詮消えていくような気がする。


 先日、久しぶりに”信友”と呑んだ。
最近ちょっと、お互い?、モヤモヤしてる感があったが、いつものように二人で何の遠慮もなく呑みながら話をしてたら、知らんうちにそんなのどっかへ行ってしまってた。
 彼とも、メールやfacebookなどでのやりとりをしているが、やっぱり、実際に会って話すのが、これだけ楽しいと感じたのはおそらく初めてのような気がした。。。。どちらかというと、楽しいというよりは、安心したって感じかもしれない。


 昨日、次男が私と愛妻に、

「なあなあ、今日な、体育でオレ、跳び箱の閉脚とびで8段跳べたんやぞ!。。。オレが、一番乗りやっ!!」って、自慢げに話してくれた。確か、一昨日は「もうちょっとのとこで跳べるんやけど、、、」って、言ってたな。。。

 二人でぎょうさん、褒めてやりました。



『会話』

。。。会って、話す、、、って書くんだよなー。。。。
  

Posted by 飛騨の山猿 at 07:25Comments(0)

2011年11月07日

ふるさと

 今日、地元の小学校で行われたローカルコンサートを聴きに行った。

そのなかで、歌われた一曲に「ふるさと」があった。



3番の歌詞、、、


   志を 果たして

   いつの日にか 帰らん

   山はあおき ふるさと

   水は清き ふるさと
  



 この歌詞が、なぜか妙にココロに沁みた。。。

以前までは、そんなこともなかったような、、、


 
、、、清見の子どもたちの心には、

            どう伝わったんだろう、、、  

Posted by 飛騨の山猿 at 21:58Comments(0)

2011年11月06日

(幸)。

 昨夜は岐阜市内でOB会があった。

 以前、若輩ながらも役職をいただいていた、県の商工会青年部の役員OB会。久しぶりに再会した面々だったが、とくに疎縁感がなかったのは、なぜだろう、、、

 飛騨に住む私にとっては、岐阜の街はとても魅力的?!で、ついつい、キョロキョロしてしまい、おそらく”いかにも”感、醸し出していたに違いない(笑)。そんな私でも、何の隔たりもなく同じ仲間として楽しくお付き合いしてくれるあのメンバーは、ホント、イイ人たちだ、、、すごく嬉しいし、唯々、感謝するばかり。。。

 酒を呑みながら、商売のこと、家族のこと、そして地域のこと、、、お互い、何の遠慮もなく、話せる。。。フルサトの仲間とはまたちょっと違った、”新たな感覚”をくれる仲間だ。


 すごく、心地よかった。。。


 なんと、自分はお酒が呑めないにもかかわらず、幹事役としていろんな段取りをしてくださったK田さん。日時・場所の設定、メンバーへの案内、出欠確認、二次会の設定までしてくださっていた、、、そして、遠方から来る私を気遣ってくださり、ホテルまで手配を、、、

 ほかにも、メンバーの中には酒蔵の社長もいて、昨日も大吟醸を差し入れ!一升瓶を抱えての登場、、、(旨)。


 年もみんなほぼ一緒、、、年齢のギャップがないって、意外と何でも話が簡単に、適度に!?まとまるのが不思議だ、、、

 それと同時に、このメンバー間では商売人としての”仲間意識”のようなものも感じる。

 
 あまり口には出さないが、家業の悩みなんかも当然いろいろあるはず、、、あ、そうそう、、、タイに進出したすぐに工場が浸水してまって、マイッタよ!、、、なんて、笑いながら話してくれたメンバーもいたが、、、

 そんなこんなで、みんな”サラリ”とお互いを気遣いながら、楽しい時間を過ごした。


 すごくありがたい、、、イイ仲間に恵まれている。。。(幸)。



今朝はホテルの部屋で、ひとり、そんなことをあらためて感じた。。。
   

Posted by 飛騨の山猿 at 06:54Comments(0)

2011年11月05日

真意を感じとる

 昨夜は、反省会があった。

 10月23日に行われた「ひだ清見紅葉まつり」の牛の丸焼きスタッフのご苦労様会。昨夜の面々は、私よりも一回り以上も年輩の方もござれば、逆に一回り以上も年下の後輩の姿も、、、しかしながら、共通点は、「清見びと」。。。人数こそ少なかったが、いろんな”想い”を感じとることが出来た。
 
 話は当然、牛の丸焼きの話題で始まったが、例のごとく!?、脱線しながら更に盛り上がった。地元の集まりならではの消防団の昔話や、伝説!?、武勇伝!!??、そして、やっぱり、男7人という構成だったので、少々”アダルティー”?な話題でも妙に盛り上がった(笑)。

 そんな楽しい呑みの最中、私は先輩方の話を聞きながら、あることを感じていた。

 それは、長年にわたり、このイベントや牛の丸焼きを、そして村の時代からこの地を”きりもり”してござった方々の、「このまちに対する想い」。

 昔の苦労話や、失敗談、若さと勢いに任せて突っ走った”げばいた”話しなど、そのどれもを楽しい記憶として鮮明に覚えてござり、「おう、そういやー、こんなこともあったんやぞ!」、、、と、次から次へと思い出ばなしを楽しそうに、そしてちょっとだけ自慢げに披露しらはった。普段は彼らからそういったことを聞く機会などあまりなく、当然ながら今まで私自身が先輩方に対して抱いていた”疑心”など、身勝手でたいへん失礼なことだったんだと、恥ずかしながら、あの場でリアルに感じた。自分の未熟さに、唯々、申し訳なく、反省しなければと思った。

 そして、どの話しの中にも、

「このまちが、何かよー分からんけど気になるんやさ、、、」

って、言ってござるようで、、、

 上手いこと言えんけど、このまちのために長年頑張ってござった”証”のような、”誇り”のようなものを、感じた。

 
少なくとも、今の私には、彼らほどの”軌跡”がない、、、


 そう思ったら、

もっといろんなことを先輩方から学びたいと、素直に思った。

もっとこの町の人たちの”想い”を感じとりたいと、強く思った。



 最近、つくづく、人の心の奥底にある”真意”を感じることの難しさを、痛感している。それは、たとえ寝食を共にしている家族の場合でさえ、ままならないというのに、、、

 
 他人であればなおさらのこと、、、

所詮、そんなことを感じとるのは無理なのかもしれない。


 だが、なぜか、、、

 このまちで”受け継がれ”今もなお”生き続けている”、より多くの”真意”を感じとりたい。
  

Posted by 飛騨の山猿 at 12:56Comments(0)

2011年11月03日

記念日に、、、

 ブログを休むようにしてから、もう2ヶ月半が経った。
長かったような短かったような、、、その間、いろんなことを考えた。仕事のこと、地域のこと、仲間のこと、家族のこと、、、日々、葛藤の毎日だったような気がする。そして、いつも心のどこかに言葉には表せない不安のようなものがあった。

 今日、お陰さまで40歳の誕生日を迎えることができた。
去年までの私は、自分の誕生日の当日などこれといって特に想い入れがあったわけでもなく、普段と同じように何気なく過ごしていた。

 だが、今年は、、、

 昨日の朝からどうも風邪気味で、鼻水と喉の痛みから昨晩はいつになく早めに休んだ。今朝はそこそこの時間に目は覚めたが、7時頃まで布団から出る気がしなかった。別に、風邪の具合が悪かったのではない。なぜか、私の心の中が、やけに重かった。

 午前中は次男の少年野球の練習試合に、、、午後は少しだけ仕事をした。その後はいつものように、家族で夕飯を食べ、風呂に入り、その後はfacebookでお祝いのメッセージをくださった方々に御礼を、、、そういえば、愛妻と我が子から誕生日プレゼントも貰った。またしても、次男の書いてくれた私への”心のこもった!?”メッセージに家族みんなで大爆笑した。

 そして、PCに向かってさっきからやたら長いブログを書いている。

今朝からの、重かった心の中身を、自分なりに少しづつ噛み砕きながら、、、


 私は今年に入って特に、自分の”想い”を前面に強く出しながら歩んできた。あの東日本大震災があってからは、より一層その気持ちが抑えられないくらい、自分に、そして周りにも訴えてきた。さらに、その想いを”カタチ”にすべく、行動もした。ありがたいことにその行為をある程度認めていただけたし、当然ながら自分の中でも満足していた気分になっていた。だがその結果、大切な人たちを傷つけてしまい、大事なものを失いかけていた現実も同時にあった。

 そんなことがあったからこそ、今までは気付かなかった、、、今までは見えなかった、、、いや、見ようともしなかった大事なことに対して、深いところまでひとつひとつ見ようとするようになった気がする。 

 四十にもなって、今ごろ遅い、、、と、お叱りを受けるかもしれないが、、、



 孔子の言葉に、こんな一節がある、、、


「恭(きょう)にして礼(れい)なければ則(すなわ)ち労(ろう)す。

慎(しん)にして礼なければ則ち葸(し)す。

勇(ゆう)にして礼なければ則ち乱(みだ)る。

直(ちょく)にして礼なければ則ち絞(こう)す。」


 「恭(うやうや)しさ」も礼がないと心労になる。「慎み」も礼がないと考え過ぎになる。「勇」も礼がないと反乱になる。「正直」も礼がないと”きつい人”になる。


 この言葉が、今の私の心境にはしっくりくる。これからは、自分にこの一節を言い聞かせて生きていきたい。
 
と同時にその一方で、すごく”人間臭い”毎日を過ごせたことに、すこしだけ感謝もしている。



 話は変わるが、、、

 私はここ最近、昼御飯を食べた後に15分くらい本を読むように心がけている。つい昨日までは、サッカー日本代表のキャプテンでもある長谷部 誠選手の『心を整える』という本を読んでいた。愛妻と我が子たちが父の日のプレゼントにと贈ってくれたものだ。その中で、私の今後の生き方に大きなヒントを与えてくれた気がする一節があった。


 サッカー選手として、自分には一目で分かるような突出した武器がない、ということは自分でもよく分かっている。ピッチ中央でのドリブルやペナルティエリア付近への縦パス、サイドからのクロスなど武器だと思っているプレーはある。けれど、オランダ代表のアリエン・ロッベンのように相手を置き去りに出来る圧倒的なスピードはないし、俊さん(中村俊輔)のように観客をあっと驚かせるような華麗なパスをコンスタントに出せるわけでもない。守備を含めたMFとしての総合力には自信があるけど、武器がいまいち分かりづらい、ということは自覚している。
 だからこそ、レベルの高いチームのなかで生き残り、先発メンバーに名を連ねるためには、何か人と違うストロングポイントを示さなければならない。
 僕にとってのそれは、「組織に足りないものを補う」ことだ。

 (中略)

 すぐに評価を上げようと思ったら、目立つプレーをした方が手っ取り早い。だけれど、組織に成功がもたらされたときには、必ずチームプレーをしている選手の評価も上がるはずだ。
 焦らず我慢して継続すれば、いつか「組織の成功」と「自分の成功」が一致する。それを目指しているのであれば、組織のために自分のプレーを変えることは自分を殺すことではなくなる。
 これからも僕は、組織のために足りないものを補える選手であり、組織において不可欠な人間でいたい。そうすれば、たとえ目立たなくてもピッチに立つことができるだろう。 



 非常に恥ずかしい話だが、私はやっとこの間まで、自分の”想い”が正しい答えであり、それを推し進めていくことが自分にとっても、また周りにとっても一番いいことだと勝手に勘違いして思い込んでいた。今思うと、とても不甲斐ない自分に腹が立つし、すごくカッコわるいなー、、、とも思う。

 私が目指す自分の姿は、おそらく、それじゃなかったはず、、、

 正論や正義を振りかざして進むのではなく、自分の目の前にある”ものごと”に、ひとつひとつ、その時その時、マジで全力をつくす。それが、自分の描いたカッコイイ姿なんだと、、、

 自分の商売や生まれ育った故郷のために、そしてかけがえのない家族のために、正面からぶつかり、イイとこを伸ばし、ダシカンとこをカバーする。頑張ってる人を心から応援し、元気がない人を心から励ます。


 。。。。。そんなふうに、進んでいきたい。



 11月3日、文化の日。

 1946年に日本国憲法が公布された日でもあり、この法が「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを基調としていることからも、この日が「文化の日」とされているという、、、

 奇しくもこの日に生まれてきたことに、何か宿命みたいなものを勝手ながら感じています。


 両親が私に授けてくれた 『英雄』 という名に込められたその想いと、いま、私を支えて下さっている多くの方々の想いをしっかりと受け止め、また新たな気持ちで歩んでいこうと、強く心に刻んだ記念日になりました。


 のくたいまち、清見町の”英雄”となり得る人間は、誰よりも優しく、何よりも強く、そしてとんでもなく”のくたい”、、、

そんな人間であってほしいと、願うばかりです、、、、


   

Posted by 飛騨の山猿 at 23:03Comments(0)