飛騨の山猿日記 › 記念日に、、、

2011年11月03日

記念日に、、、

 ブログを休むようにしてから、もう2ヶ月半が経った。
長かったような短かったような、、、その間、いろんなことを考えた。仕事のこと、地域のこと、仲間のこと、家族のこと、、、日々、葛藤の毎日だったような気がする。そして、いつも心のどこかに言葉には表せない不安のようなものがあった。

 今日、お陰さまで40歳の誕生日を迎えることができた。
去年までの私は、自分の誕生日の当日などこれといって特に想い入れがあったわけでもなく、普段と同じように何気なく過ごしていた。

 だが、今年は、、、

 昨日の朝からどうも風邪気味で、鼻水と喉の痛みから昨晩はいつになく早めに休んだ。今朝はそこそこの時間に目は覚めたが、7時頃まで布団から出る気がしなかった。別に、風邪の具合が悪かったのではない。なぜか、私の心の中が、やけに重かった。

 午前中は次男の少年野球の練習試合に、、、午後は少しだけ仕事をした。その後はいつものように、家族で夕飯を食べ、風呂に入り、その後はfacebookでお祝いのメッセージをくださった方々に御礼を、、、そういえば、愛妻と我が子から誕生日プレゼントも貰った。またしても、次男の書いてくれた私への”心のこもった!?”メッセージに家族みんなで大爆笑した。

 そして、PCに向かってさっきからやたら長いブログを書いている。

今朝からの、重かった心の中身を、自分なりに少しづつ噛み砕きながら、、、


 私は今年に入って特に、自分の”想い”を前面に強く出しながら歩んできた。あの東日本大震災があってからは、より一層その気持ちが抑えられないくらい、自分に、そして周りにも訴えてきた。さらに、その想いを”カタチ”にすべく、行動もした。ありがたいことにその行為をある程度認めていただけたし、当然ながら自分の中でも満足していた気分になっていた。だがその結果、大切な人たちを傷つけてしまい、大事なものを失いかけていた現実も同時にあった。

 そんなことがあったからこそ、今までは気付かなかった、、、今までは見えなかった、、、いや、見ようともしなかった大事なことに対して、深いところまでひとつひとつ見ようとするようになった気がする。 

 四十にもなって、今ごろ遅い、、、と、お叱りを受けるかもしれないが、、、



 孔子の言葉に、こんな一節がある、、、


「恭(きょう)にして礼(れい)なければ則(すなわ)ち労(ろう)す。

慎(しん)にして礼なければ則ち葸(し)す。

勇(ゆう)にして礼なければ則ち乱(みだ)る。

直(ちょく)にして礼なければ則ち絞(こう)す。」


 「恭(うやうや)しさ」も礼がないと心労になる。「慎み」も礼がないと考え過ぎになる。「勇」も礼がないと反乱になる。「正直」も礼がないと”きつい人”になる。


 この言葉が、今の私の心境にはしっくりくる。これからは、自分にこの一節を言い聞かせて生きていきたい。
 
と同時にその一方で、すごく”人間臭い”毎日を過ごせたことに、すこしだけ感謝もしている。



 話は変わるが、、、

 私はここ最近、昼御飯を食べた後に15分くらい本を読むように心がけている。つい昨日までは、サッカー日本代表のキャプテンでもある長谷部 誠選手の『心を整える』という本を読んでいた。愛妻と我が子たちが父の日のプレゼントにと贈ってくれたものだ。その中で、私の今後の生き方に大きなヒントを与えてくれた気がする一節があった。


 サッカー選手として、自分には一目で分かるような突出した武器がない、ということは自分でもよく分かっている。ピッチ中央でのドリブルやペナルティエリア付近への縦パス、サイドからのクロスなど武器だと思っているプレーはある。けれど、オランダ代表のアリエン・ロッベンのように相手を置き去りに出来る圧倒的なスピードはないし、俊さん(中村俊輔)のように観客をあっと驚かせるような華麗なパスをコンスタントに出せるわけでもない。守備を含めたMFとしての総合力には自信があるけど、武器がいまいち分かりづらい、ということは自覚している。
 だからこそ、レベルの高いチームのなかで生き残り、先発メンバーに名を連ねるためには、何か人と違うストロングポイントを示さなければならない。
 僕にとってのそれは、「組織に足りないものを補う」ことだ。

 (中略)

 すぐに評価を上げようと思ったら、目立つプレーをした方が手っ取り早い。だけれど、組織に成功がもたらされたときには、必ずチームプレーをしている選手の評価も上がるはずだ。
 焦らず我慢して継続すれば、いつか「組織の成功」と「自分の成功」が一致する。それを目指しているのであれば、組織のために自分のプレーを変えることは自分を殺すことではなくなる。
 これからも僕は、組織のために足りないものを補える選手であり、組織において不可欠な人間でいたい。そうすれば、たとえ目立たなくてもピッチに立つことができるだろう。 



 非常に恥ずかしい話だが、私はやっとこの間まで、自分の”想い”が正しい答えであり、それを推し進めていくことが自分にとっても、また周りにとっても一番いいことだと勝手に勘違いして思い込んでいた。今思うと、とても不甲斐ない自分に腹が立つし、すごくカッコわるいなー、、、とも思う。

 私が目指す自分の姿は、おそらく、それじゃなかったはず、、、

 正論や正義を振りかざして進むのではなく、自分の目の前にある”ものごと”に、ひとつひとつ、その時その時、マジで全力をつくす。それが、自分の描いたカッコイイ姿なんだと、、、

 自分の商売や生まれ育った故郷のために、そしてかけがえのない家族のために、正面からぶつかり、イイとこを伸ばし、ダシカンとこをカバーする。頑張ってる人を心から応援し、元気がない人を心から励ます。


 。。。。。そんなふうに、進んでいきたい。



 11月3日、文化の日。

 1946年に日本国憲法が公布された日でもあり、この法が「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを基調としていることからも、この日が「文化の日」とされているという、、、

 奇しくもこの日に生まれてきたことに、何か宿命みたいなものを勝手ながら感じています。


 両親が私に授けてくれた 『英雄』 という名に込められたその想いと、いま、私を支えて下さっている多くの方々の想いをしっかりと受け止め、また新たな気持ちで歩んでいこうと、強く心に刻んだ記念日になりました。


 のくたいまち、清見町の”英雄”となり得る人間は、誰よりも優しく、何よりも強く、そしてとんでもなく”のくたい”、、、

そんな人間であってほしいと、願うばかりです、、、、


 

スポンサーリンク

Posted by 飛騨の山猿 at 23:03│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。