飛騨の山猿日記 › 2012年01月05日
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2012年01月05日
絆のカタチ
今日は地元の消防出初め式がありました。
毎年恒例でして、1月5日は私の年中行事の一つでもあります。



※出初め式の模様はこちらでもご紹介してます
↓
http://www.facebook.com/kiyomitv
ここ近年、清見地域の出初め式は屋内施設での開催です。私が中学生の時はグランドでの”極寒”の中での開催でした。もちろん、中学生も式典に出席しました。当時はもちろん!?”嫌々”での参加でしたが、大人になった今、よくよく思うと「地域の大事な活動」を”体得する”、、、そんな意義があったように思います。今では、そんなこともなくなってしまいました。私個人的には、”残念”なことですが。。。
あ、そうそう、、、高山市内では、今でも伝統を重んじて屋外での式典ですね。。。本日も雪の降りしきる中、ご苦労様でした。
さて、、、、
式典は午前中で終わったんですが、午後からは所属分団の新年会でした。

ここ近年、消防団員の”不祥事”が何件か起きています。。。その大半が「飲酒運転」によるものです。私がこんなことを書くのはあまり良いことではないかもしれませんが、昔(私の入団した20年ほど前)は練習の後に”呑んで帰る”ことは暗黙の了解のような風潮がありました。当然、やってはいけないことです。。。その影響もあって、詰所(ポンプ庫)で呑むことは禁止になりました。当然ながら、呑む機会も極端に減りました。
でも、ひとつだけ言いたい事があるんです。
言ってしまえば、消防団員は所詮、ボランティア、、、でも、万が一の際には地域の不可欠な”チカラ”です。私自身、ある意味では”避ける”ことができるのなら、できればそうしたいです。恥ずかしながら正直、本音の部分です。しかし、誰もがそんなことを言っていたら、地域の営みが成り立ちません。。。だから、”責務”と思って勤めています。
。。。。みんな、そうなんです。。。。
確かに”外野”からみれば、地域自治にかこつけての”呑み”にしかとれないかもしれませんが、現実はそんなもんじゃありません。。。年代も仕事も、それこそ考え方も違う者同士が、唯単に”地域のために”という単純な理由と、”同郷”ということだけでつながっているんです。
だからこそ、ある意味、、、”理不尽”な集まりを、”道理”として捉える事ができるんだと思います。
現代は何かと「セケンテイ」や「ツゴウ」に無理して合わせる流れがあります。
話は戻りますが、”呑む”ことが悪いのではなく、”呑まれる人間”が悪いんです。ここは、根本的な大人としての”モラル”の部分。団体がどうのこうのという問題ではないと思います。。。言いすぎかもしれませんが、ブレてるような気が、、、
地域にとっての”不可欠な営み”を、こんな時代だからこそ大事にしていくには、これもひとつの”絆のカタチ”だと私は思いますが、、、
。。。。スンマセン、、、ちょっと”山椒”、キキスギデスカネ。。。。(辛っ)。
毎年恒例でして、1月5日は私の年中行事の一つでもあります。
※出初め式の模様はこちらでもご紹介してます
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ここ近年、清見地域の出初め式は屋内施設での開催です。私が中学生の時はグランドでの”極寒”の中での開催でした。もちろん、中学生も式典に出席しました。当時はもちろん!?”嫌々”での参加でしたが、大人になった今、よくよく思うと「地域の大事な活動」を”体得する”、、、そんな意義があったように思います。今では、そんなこともなくなってしまいました。私個人的には、”残念”なことですが。。。
あ、そうそう、、、高山市内では、今でも伝統を重んじて屋外での式典ですね。。。本日も雪の降りしきる中、ご苦労様でした。
さて、、、、
式典は午前中で終わったんですが、午後からは所属分団の新年会でした。
ここ近年、消防団員の”不祥事”が何件か起きています。。。その大半が「飲酒運転」によるものです。私がこんなことを書くのはあまり良いことではないかもしれませんが、昔(私の入団した20年ほど前)は練習の後に”呑んで帰る”ことは暗黙の了解のような風潮がありました。当然、やってはいけないことです。。。その影響もあって、詰所(ポンプ庫)で呑むことは禁止になりました。当然ながら、呑む機会も極端に減りました。
でも、ひとつだけ言いたい事があるんです。
言ってしまえば、消防団員は所詮、ボランティア、、、でも、万が一の際には地域の不可欠な”チカラ”です。私自身、ある意味では”避ける”ことができるのなら、できればそうしたいです。恥ずかしながら正直、本音の部分です。しかし、誰もがそんなことを言っていたら、地域の営みが成り立ちません。。。だから、”責務”と思って勤めています。
。。。。みんな、そうなんです。。。。
確かに”外野”からみれば、地域自治にかこつけての”呑み”にしかとれないかもしれませんが、現実はそんなもんじゃありません。。。年代も仕事も、それこそ考え方も違う者同士が、唯単に”地域のために”という単純な理由と、”同郷”ということだけでつながっているんです。
だからこそ、ある意味、、、”理不尽”な集まりを、”道理”として捉える事ができるんだと思います。
現代は何かと「セケンテイ」や「ツゴウ」に無理して合わせる流れがあります。
話は戻りますが、”呑む”ことが悪いのではなく、”呑まれる人間”が悪いんです。ここは、根本的な大人としての”モラル”の部分。団体がどうのこうのという問題ではないと思います。。。言いすぎかもしれませんが、ブレてるような気が、、、
地域にとっての”不可欠な営み”を、こんな時代だからこそ大事にしていくには、これもひとつの”絆のカタチ”だと私は思いますが、、、
。。。。スンマセン、、、ちょっと”山椒”、キキスギデスカネ。。。。(辛っ)。
Posted by 飛騨の山猿 at
19:32
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