飛騨の山猿日記 › 2012年01月01日
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2012年01月01日
なぜ、何のために、、、
新しい年を迎えました。
みなさん、あけましておめでとうございます。
。。。コタツに入って、届いた年賀状を見ながら昨年のいろんな出来事を思い返しています。
今思えば、『不惑』の歳を迎え、ブレることなく進んでいこうと気合充分でスタートした昨年、、、
一言で言うと、アクセルを目一杯に踏み込んで駆け抜けた、、、そんな感じだった。
3月に起きた東日本大震災、、、特にあの出来事以来、私の中にもそれまで抱いていた何となく漠然としていたものが、とてつもなく大きな力で突き刺さったのは言うまでもない。
それからというもの、「何かしなくては、、、何ができるのか、、、」という想いが、自分の中で常に流れ続けていた。そして、それを”カタチ”にすべく、仲間とともに自分たちの町に”新たな風”を起こせたことが、何よりも大きな足跡となった。もちろんそこには、いろんな方々からの心温まる御理解と、多くのご支援があってのこと、、、今でもその光景を思い起こすと、込み上げてくるものがある。
支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
「福島の親子の方々への野菜支援」、「きよみ夏祭り2011」、、、
このプロジェクトを通じて私自身、言葉では言い表せないほど多くのことを学ばせてもらったことは、、今後の大きな糧となったし、今までは全く見えていなかったことが、、、全く感じられなかったものが、、、私の心に深く刻まれたことは、とてもかけがえのない経験となった。
楽しい思いも、嬉しい思いも、悲しい思いも、悔しい思いも、嫌な思いも、、、
この一年は”凝縮”されて刻まれた。でも、、、
どちらかといえば、 『傷』 となった、、、の方が適切な表現かもしれない。
正直、周りに映っているほど”出来る”人間ではなく、無理して装って、カッコつけて、、、
そのせいで、迷惑かけたり、嫌な思いをさせてしまったり、、、大事に思ってるつもりだったものが、知らず知らずのうちに思えなくなってしまってたり、、、
体が悲鳴をあげていたこともあったな。。。
そんなふうに、悩んで、もがいて、壁にぶつかって、、、痛いくらいわかったこともあった。
。。。。ありがとう。。。。ごめんなさい。。。。
今日の朝刊に載っていた震災に関する記事の中に、こんな言葉があった。
。。。。『なぜ、何のために生きるのか』。。。。
私は今でも、心のどこかに”罪悪感”を抱きながら暮らしている。それは同じこの日本の中でさえ、食べることに、、、住むことに、、、そして人の温もりに”飢えて”いる営みもあるんだということ、、、
そんな状況をダブらせながら、ひとたび自分の周りに目を向けた時、無性に感情的になって憤りを抑えられなくなる時がある、、、
なにが、どうしてこんな差を生むのだろうか、、、
私や私の周りの営みはこれでいいのだろうか、、、
、、、ここまで”ムキ”になる必要はないのかもしれない。
でも、『なぜ、何のために生きるのか』という問いかけに向き合った時、
なぜか素直になれない自分がいる。
新しい年が明けた今、
じっくりと自分の中の”答え”と”理由”を今一度考えたい。
そしてその答えに向かって、今年も”イイ年”にしたい、、、
みなさん、あけましておめでとうございます。
。。。コタツに入って、届いた年賀状を見ながら昨年のいろんな出来事を思い返しています。
今思えば、『不惑』の歳を迎え、ブレることなく進んでいこうと気合充分でスタートした昨年、、、
一言で言うと、アクセルを目一杯に踏み込んで駆け抜けた、、、そんな感じだった。
3月に起きた東日本大震災、、、特にあの出来事以来、私の中にもそれまで抱いていた何となく漠然としていたものが、とてつもなく大きな力で突き刺さったのは言うまでもない。
それからというもの、「何かしなくては、、、何ができるのか、、、」という想いが、自分の中で常に流れ続けていた。そして、それを”カタチ”にすべく、仲間とともに自分たちの町に”新たな風”を起こせたことが、何よりも大きな足跡となった。もちろんそこには、いろんな方々からの心温まる御理解と、多くのご支援があってのこと、、、今でもその光景を思い起こすと、込み上げてくるものがある。
支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
「福島の親子の方々への野菜支援」、「きよみ夏祭り2011」、、、
このプロジェクトを通じて私自身、言葉では言い表せないほど多くのことを学ばせてもらったことは、、今後の大きな糧となったし、今までは全く見えていなかったことが、、、全く感じられなかったものが、、、私の心に深く刻まれたことは、とてもかけがえのない経験となった。
楽しい思いも、嬉しい思いも、悲しい思いも、悔しい思いも、嫌な思いも、、、
この一年は”凝縮”されて刻まれた。でも、、、
どちらかといえば、 『傷』 となった、、、の方が適切な表現かもしれない。
正直、周りに映っているほど”出来る”人間ではなく、無理して装って、カッコつけて、、、
そのせいで、迷惑かけたり、嫌な思いをさせてしまったり、、、大事に思ってるつもりだったものが、知らず知らずのうちに思えなくなってしまってたり、、、
体が悲鳴をあげていたこともあったな。。。
そんなふうに、悩んで、もがいて、壁にぶつかって、、、痛いくらいわかったこともあった。
。。。。ありがとう。。。。ごめんなさい。。。。
今日の朝刊に載っていた震災に関する記事の中に、こんな言葉があった。
。。。。『なぜ、何のために生きるのか』。。。。
私は今でも、心のどこかに”罪悪感”を抱きながら暮らしている。それは同じこの日本の中でさえ、食べることに、、、住むことに、、、そして人の温もりに”飢えて”いる営みもあるんだということ、、、
そんな状況をダブらせながら、ひとたび自分の周りに目を向けた時、無性に感情的になって憤りを抑えられなくなる時がある、、、
なにが、どうしてこんな差を生むのだろうか、、、
私や私の周りの営みはこれでいいのだろうか、、、
、、、ここまで”ムキ”になる必要はないのかもしれない。
でも、『なぜ、何のために生きるのか』という問いかけに向き合った時、
なぜか素直になれない自分がいる。
新しい年が明けた今、
じっくりと自分の中の”答え”と”理由”を今一度考えたい。
そしてその答えに向かって、今年も”イイ年”にしたい、、、
Posted by 飛騨の山猿 at
13:57
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