飛騨の山猿日記 › 飛騨の山猿が、、、

2011年12月31日

飛騨の山猿が、、、

 今日は仕事は休みだったが、iPhoneウッドケースのプロダクトパートナーでもある東京の会社の担当者の方と打合せがあった。もちろん、会場はnokutareショールーム。コタツでのアットホームな雰囲気の中で、、、
 
 以前も紹介したと思うが、このプロダクトを手掛けたきっかけは、ほんと偶然的な始まりだった。

 そもそもこのウッドケースの製作を打診されたのは、この担当者の方からだったが最初は半信半疑、、、当然ながら”東京”の会社だという、以前の私には縁もゆかりもない土地の訪問者に少々戸惑った。しかし、話をしているうちに不思議なつながりが、、、
 この担当者の方はもともと高山出身で、よくよく話を聞いていたらなんと私の知り合いの兄さんだった。こんなこともあるんだと、驚きと同時に親近感を感じたことを今でもはっきりと覚えている。そこから話は一気に進み、プロダクトの始まりとなった。

 デザインと製作はnokutareが、マーケティングはこの東京の会社が、というかたちで進めていくことに、、、ウチのような田舎のちっぽけな工房にとっては、何とも不思議な展開だと今でも思っている。


http://msygroup.com/lifestyle/colors/realwood/index.html


 さて、今日も高山の実家に帰省しがてら、当工房にお越しいただいていろいろと話を、、、

ウッドケースの販売現況や、来年の展開について、、、

 もともと大量に生産販売する商品ではないが、お陰さまで販売も伸びており、在庫も完売状態。国内はもとより、海外からの引き合いも増えつつあるという、、、来年は1月のアメリカでの展示会を皮切りに、パリやドイツでの出展も視野に入れているそうだ。。。嬉しい限りである。

 そして、ウッドケース以外にも新たなラインナップ、商品開発も進めていこうという話も、、、クリエイターとしては、これほど楽しみなことは他にない。。。具体的な構想に、すでにワクワクしている。
 もちろん、今までどおり一位一刀彫や飛騨春慶、山中和紙などを組合わせた「伝統技術の新たな価値の創出」を軸に、それらの”まきかえし”を図ることも外さずに、という視点には拘り続けていく。そういったことを通じて、長い歴史の中で受け継がれてきた飛騨の文化の継承に多少なりとも貢献できたら、、、と真剣に考えている。


 そんなふうに二人で話をしているときに、ふと思い出したことがあった。


 確か私が中学生の頃だったか、、、ある先生が、私たちにこんな言葉をかけらはったことがあった。

「おめーたちゃな~、、、そんに外見だけカッコつけたって、岐阜の街へ行ったら所詮、田舎モンやって分かるんやで無理せんでもいいんやさ、、、。
あのなー、『飛騨の山猿』はどこいっても山猿らしいほうがいいんや、、、その方がカッコええ。。。」


 当時は「そんなことあるもんか、、、」とその先生の言葉に頷くどころか、何の価値も感じてなかったが、今になってその言葉の持つ意味が何となくではあるがわかってきたような気がする。


 その先生はこんなことも言ってござった、、、

「おめーたちゃな~、、、東京行って地下鉄の乗り方がわからなんだり、レストラン入ってフランス料理の食べ方がわからんことはちっとも恥ずかしいことでは無いんやぞ、、、そんなことより、田舎で育ったのに、山行ってこれが何て山菜やとか、これは何て花やとか、、、、そういうことがわからん方が、よっぽど恥ずかしいことなんや」、、、と。

 
 あれから、25、6年経った、、、

 
 この豊かな自然と人情味あふれる土地で生まれ、育ててもらったことをバックグラウンドに、ここで培った『飛騨の山猿』の”感性”でもって世界に挑戦していけることに、今は唯々感謝し、それを誇りにすら思っている。

 そこにはちょっとだけ、田舎モンの”意地”と”やっかみ”みたいなものがあるのかもしれないが、、、


 とにかく、、、

 支えてくれる家族や仲間、地域の人たちの想いをたっぷりと吸収し、その栄養分をエネルギーにして、自分を信じ、力強く前へ進んでいきたい。


 そして、誰もが認める”結果”を自らが出し、

   この地の新たな”パイオニア”となることを目指して、、、


 


 

 
 


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Posted by 飛騨の山猿 at 00:49│Comments(0)
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